
精神科閉鎖病棟入院日記
2007年8月9日(木) 入院初日
入院初日。15時の予約で、八王子市の山奥にあるN病院を訪れた。本当に山の奥地で、初めて来た人には辿り着けない場所にあると思った。携帯の電波はドコモ以外、山に囲まれていて入らなかった。(その時点で、携帯を隠して持ち込む計画を×になった。)診察がとても長くて、頭が混乱した。私は、ぬいぐるみと話していて、ほとんど退行していたと思う。荷物は、刃物はもちろん、持ち込めないものがとても多かった。(ゲーム、音楽機器、バスタオル等)病棟に入って早々、夕飯の時間(毎日6時から)になってしまい、荷物の整理もままならないまま、夫と母との別れもきちんと出来ずに、夕飯を食べさせられた。味は、激的なまずさ。食事は、ホールで摂ることになっていて、自分の座席が決まっている。夫が帰る時、泣いたら、向かいのイスに座ってた車いすのおばあさんが「大丈夫よ。」と何度も慰めてくれた。その後、すぐに入浴。お風呂は毎日入れる。精神科でそういう所はとても珍しい。(たいていは週3回)お風呂は、一見綺麗。でも天井を見ると蜘蛛と蜘蛛の巣が大量にある。部屋は、4人部屋で自殺防止のためにカーテンがない。クーラーは少し効きすぎていた。意外と元気に初日を終えた。
2007年8月10日(金) いきなりの部屋替え
昨晩は、一晩中喋り続けているおばあさんが同室で眠れなかった。朝方は耐えられなくて、「うるさい!」と怒鳴ったが、胃は痛くなる一方だった。朝食は、まずいを極めていた。食後にどのくらい食べたか、全員自己記入することになっている。昨日から、3人の女の子に話しかけられた。私は、まだ愛想を振りまく余裕がないから仲良くなるのは、難しそうだ。私が、「(夜中に)あと3日うるさかったら手出す気がする・・・。」とふと呟いたら、部屋が速攻で移動になった。今度の部屋は、同世代(といっても30代の人たち)が3人。音楽の音漏れが凄い人。自作?の歌を大声で歌っている人。やばい感じがした。夕方、夫が面会に来てくれた。閉鎖病棟なので、「お見舞い」ではなく、「面会」と呼ぶ。面会も、部屋ではなく、面会室のみと決められている。荷物チェックも厳しい。私と違ってあまり寂しくないみたいで、不安な気持ちが加速した。私は、寂しくてたくさん泣いた。同時に、夫に対して、私のために頑張ってくれて、こんな遠い所まできて、すごく疲れているみたいで、ごめんね。って気落ちでいっぱいになった。夕食は完食したけど、食後も泣いていたら、担当の看護師(一人一人に担当が決まっている)に「結婚してるんだから。お母さんになるんだから。」と励まされた。寂しいあまり、テレビも人も避け、誰とも話していない。夫に会いたい。
2007年8月11日(土) 速効で鬱になる
趣味の映画の事は忘れた方がいいのかどうかわからないまま、元気が出るかな?と思ってテレビの映画コーナーを観たら、少し現実の世界に戻った気がした。ここにいると、現実感がない。窓の外を、「外の世界」と呼んでしまう。ちなみに窓は、5cmくらいしか開かない。風を感じることができない。今日は、院長先生の診察があった。家族の話と、入院時の検査結果の話をした。昼食後に、隣の女性(彼女は、過食、拒食症を繰り返していて今は過食の状態)と話をしていたら院長先生が昔、長谷川病院(過食・拒食症では最強といわれる病院)にいたことがわかった。昼食は、苦しくて吐きそうだった。食事の時、大声を張り上げる人がいる。(強迫観念症による不安?)しかもエンドレス。かなりストレスだ。彼女は、私の席の所に来て、「(食事が)もう終わり?」と何度も聞いてきて、トレーを下げようと待ち構えている。このままだと、キレるかも・・・。ごはんがまずい!!!!!
2007年8月12日(日) 病院食との戦い
昨晩、テレビでバレーの試合を観てたら、少し周りの人と話すことが出来た。嬉しかった。人と話さない時間が物凄く長い。朝食はまずくて吐きそうなのを我慢して食べた。罰ゲーム並だ。でも、患者さんは「色んな病院と比べてここが一番マシな味だ。」って言ってた。でも「何も考えずに食べなきゃダメだ。」とも言ってた。今日は体重測定の日で、35・8kgだった。4日で、1・5kg増。こんなに順調に増えるわけがない。だってダイエットも一定期間したら減らなくなるわけだし・・・。昨日から気の強そうな車いすの女性がいる。エンドレスでこの世に対する文句を喋り続けている。その人が話しかけてきてくれて、少し話した。精神的なパーキンソン病と鬱で、歩けなくなってしまったそうだ。ここに来て初めて音楽を聴いてみたら、曲のメッセージで少し元気が出て、少し悲しくなった。なーんにもすることがない。体力が落ちている気がする。少し歩くと疲れを感じる。午後からホールで、DVDの上映があった。月1回の映画鑑賞の日。観たことがある映画だったからながら観をしてたけど、途中で疲れて部屋に戻った。ホールで何人かで、ボードゲームやUNOをした。話し相手が出来て嬉しかったから、少しはしゃぎ過ぎて疲れた。夕方、夫が面会に来てくれた。私が笑顔だったのが嬉しいって。楽しく過ごせるように頑張ろう。夕食後、患者さん同士で、大絶叫&怪我人がでる争いが起こった。そのせいで、私も鬱スパイラルに巻き込まれそうになった。入浴後、患者さんが明日の家族との面会のことで不安になっていた。精神科の患者さんは、私も含め、家族に問題を抱えているケースがほとんどだ。話を聞いていたけど、話すことで少しでも不安がやわらぐならって思ったけど、こういうことっていけないのかな?どうなんだろう?困っている人は放っとけない癖が出て、自分の具合が悪くなったらシャレにならない・・・。
2007年8月13日(月) 薬の効き過ぎでフラフラ
5日目。同室の人の名前が未だわからない(汗)朝、頭がフラフラする。睡眠薬を止めようかどうか悩む。昨夜の患者さんは元気がない。仲良くなった拒食症の女の子は昨日と同じで朝から2回吐いてた。私は、強迫観念症と思われる患者さんにまた「もうごちそうさま?」と聞かれて、トレーを下げられそうになる。得体の知れない食材が出て看護師に聞いたけど誰も何かわからないって・・・ありえないから!!(>_<)まぢ、まずい。初洗濯をした。横についていたのが、男性看護師で、気が利かないなぁって思った。院長先生との面談があった。検査結果と、家族の事とか病因とかザッと話した。私の誕生日の外泊希望を出したら、今のまま頑張れば○だって。少し食事量を増やしてもらうことにした。1日1400kcal。今日はOT(作業療法)がないから、ヘルパーの人と将棋をした。このまま毎日暇過ぎて、将棋がどんどん上手くなっておじいちゃんみたいになったらどうしよう(汗)今日は入道雲が綺麗。写メで送れなくて残念。友だちに会いたいな。同室の患者さんの幻覚症状が悪化している。まぢうるさい。社会批判的な内容をずっと見えない誰かに大声で語りかけているから気分悪いし。胃が痛い。夕食の量が増えてゲンナリした。常食の男性と同じ量。この先食べきる自信がない。
2007年8月14日(火) 幻覚・幻聴症状
夜中、同室の子が一人で話し続けていて(しかも声でかい)、度々起こされた。確かさっき「あんた誰?」って言ってた。「ビューティフル・マインド」な世界だ。2回くらい、夢現で「うるさい!」って言った気がするけど、あまり覚えてない。朝起きたら胃が痛かった。寝不足・・・。友だちに会いたいなぁ・・・会いたい。朝食から席が変わった。お喋りな患者さんと同じ席になったから、喋りかけられ過ぎて食に集中出来ない。結果、いつもより、ペースダウンした上、気持ち悪くてしゃがみ込む羽目に・・・。一番年輩のおばあちゃんが急に暴れだしてびっくりした。あんな小さい体でどこからあんな力が出るんだろう?何人かに「すごく落ち着いている。」とか30代の人に「年上かと思った。」とか言われる。いつも若く見られるのに・・・感情抑えるために皆と引き気味に接しているせいかな?「老けてる。」とか「顔つきが変わった。」とか言われて、本来の私=24歳のなるはずだった私ってどんなだろうって考え始めた。大人の私ってどんなだろう。
2007年8月15日(水) 退行した・・・らしい
朝、頭痛と目痛、倦怠感で目が覚めた。昨日の昼過ぎくらいから記憶が曖昧だ。退行したらしい。服も違うものを着ていて、記憶がないから、何があったのかわからなくて怖かった。初めてナースコールを鳴らした。朝食は、ホールに怖くて出ていけないのと、頭痛。目痛のひどさで部屋で食べた。外泊したいから、とても具合が悪かったけど、無理やり全部詰め込んだ。昼食まで怖くて部屋にいた。皆が心配してくれたのと、「誰?って言われてショックだった。」とか「「怖い~。」って泣かれてショックだった。」って言われて、ごめんなさいって思った。着替えまでしてもらったらしく・・・○○ちゃんありがとう。きっと、ままの面会が原因だと思うから、次の面会は断った方がいいのかどうか迷う。自己判断が出来ない。でも、夫に会っても、母に会ってもすぐ退行気味になる。これはどうしたらいいのだろう。午後は、ぬり絵と音楽療法とラジオ体操をした。何だか病院に溶け込んでいるみたいで、少し動揺した。音楽療法では、すごく頭が痛くなった。フリーズした。過去の辛いことがフラッシュバックした。私がいなくて夫は悲しく倒れていないだろうか?夫の「ゆぅちゃん」って声が時々頭から急に聞こえる。
2007年8月16日(木) 暇な時にすること
今朝、初めて同室の患者さんに話しかけられた。私の人見知りバリアーが全開で作動した。ベッドの脇にしゃがみ込んで、折角話しかけてきてくれたのに、喋れなかった。だって怖いんだもん。昼食前に夫が面会に来てくれた。「忙しくてペースが作れない。」って言っているのが心配。ごめんねって思う。私がいたら、ご飯とお洗濯の心配はとりあえず無くなるのに・・・ごめんね。昼食は、激的にまずかった。少しづつ、病院での人間関係が形成されている。午後は、折り紙をしたり、ゲームをしたり、お喋りをしたりして過ごした。もう昼寝をすることが少なくなってきている。心理検査もした。同じ年で同じ誕生日の男の子がいた。すごい偶然。今日は、メークをしているから調子が良い。自信がつくんだと思う。
2007年8月17日(金) フラッシュバック
仲良くしていた女の子が退院した。皆を繋げていた子だったからこれからどうなるか不安だ。「包帯クラブ」という小説を読んだ。この映画の試写会を入院のせいで逃した悔しさ、悲しさと、病棟中の人の傷が見えてきてしまって、夫に助けを求めて電話した。私のキャパを超えてしまった。感情のコントロールが効かなくて、泣いて、力が抜けてフラついた。傷を次々感じられて、逃げるようにナースステーション内に入れてもらった。感情がバラバラになっている間に、フラッシュバックを起こして、今度は男性が怖くなった。こういう時、いつもはどこかで落ち着けるんだけど、ここには感情を整える場所がない。部屋も陰の空気に満ちていて嫌だ。それでも、部屋に逃げたのに、追い詰めるヘルパーの人が入ってきた。そして追い詰められた。これには、本当に腹が立った。折角心を落ち着けようと頑張っていたところだったのに台無し。新しい患者さんが2人入ってきて、一緒にゲームをした。今日退院した女の子がいないとやっぱり明るさに欠ける。必要以上にはしゃいだり、気を使ってしまった結果、頭痛がした。寝る前、同じ話を繰り返し一人で興奮する患者さんにつかまってしまったら、皆に慕われている患者さんが助け舟を出してくれた。今日2回も助けてもらった。
2007年8月18日(土) 看護師とバトル
昨晩の話し過ぎで喉が痛い(涙)未病な状態だ。やばい。病院を信用していない私にとっては大ピンチ。朝食もいつもより気持ち悪さ倍。やばい。昼食前に夫が来てくれた。今日は何だか恋しくて、ずっと一緒に居たかった。でも、帰る時、初めて笑顔で別れられた。午後ゲームをしたけど、機嫌の悪い患者さんがいて、気まずかった。何だかすごく疲れている。外泊出来るかな。夫といたい。夕食はすごい辛いオクラとすごい胸やけするシュウマイであまりのひどさに食べている途中で泣きだしてしまった。でも、全部食べなきゃ外泊出来ないし、治療にもならないと思って無理やり食べたら、その後2時間以上もすごい吐き気との戦いだった。泣きながら食べている時に、看護師の一人に「あはは。泣いてる。」と指刺されて笑われたのが、腹立った。普段からチャラチャラした奴で、退院まで、彼とは話す気になれなかった。誰にでもあることだからって、ひとまとめにして相手の心を思いやるのを、おっくうがったり、面倒だったりするのは、精神の怠慢からくるんだ。(byディノ)いつもは怖い看護師さんが心配してくれて、栄養士に相談したら、とアドバイスをくれた。
2007年8月19日(日) リストカット願望
日曜日は何も予定がない。病院の機能がほとんどお休みだからだ。「今日は暇だから覚悟しな。」と患者さんに言われた。一昨日くらい、患者さんの一人がずっと「リスカしたい。」って言ってた。何て言ってあげたら気分が変わるのか・・・。ほとんどの人がODか、リストカットで入院している。今朝は、ごはんが怖くてなかなかホールに行けなかった。あと喉と頭が痛い。風邪っぽい。やばいなぁ。ごはんが怖い。夫が昼食後に面会に来てくれた。昨日バトった看護師に「(私が)自分中心に回ってるからしょうがない。」みたいなことを言われた。もうこのチャラ男、ダメだなって思った。夕食後、初めて超お腹が空くという状態になった。おやつも食べたのにびっくり。ここではしっかり3時のおやつの時間がある。
2007年8月20日(月) 保護室
朝から例の看護師に腹が立って頭痛がする。ホールにも出ていきたくない始末だ。ずっと顔を合わせなきゃいけない環境だからキツイ。今日も喉が痛い。いつも私のトレーを持っていこうとする強迫観念症の女性が保護室送りになった。これで何か変わって出てきたらすごいと思う。しかし、びっくりした。看護師総動員で、拘束具を持って、白いシーツで頭までくるんで、バタバタ暴れる患者をすごい勢いで保護室に抱えて運んでるんだもん。その後の彼女の部屋の掃除もプライバシーも何もあったもんじゃない。入口のドア全開で「汚なーい。」とか言って掃除してた。最悪。人権も何もない。夕食時、彼女の代わりに出てきた患者さんが個室で暴れる音と、保護室に入った彼女の叫び声が凄かった。患者さん同士も争っていて「死ね。」とか「豚。」とか耐えがたい言葉が飛び交っていた。胃が痛かった。夕食後、他の患者さんが「大丈夫?」って話しかけてくれて、我慢してたのが壊れて泣いてしまった。やばいくらい胃が痛い。争ってた患者さんが廊下で大声で歌っているのもストレス。夜は、初めて追加で不安薬を貰って寝た。
2007年8月21日(火) 引きこもり開始
朝から胃と頭が痛くて、自室で朝食を食べた。検温しにホールに行ったら、更に胃痛が増した。母が午前中に面会に来た。不安定になるか心配だったけど、大丈夫。母が泣いた。昨日電話で祖母も泣いた。母に会ったら上手く言葉が出なかった。昼食後、患者さんにつかまった。彼女は少し苦手。辛かったけど、話を合わせておいた。一人でいたら退屈と孤独を感じた。家族って言葉に、夫が浮かんだ。少し泣いた。午後、栄養士と話して、食事は辛いもの禁止にしてもらうことになった。これで食べるのが少しはマシになることを願う。夕食の量が5日続けて間違っていた。私は、摂食で入院していて、食べる時間が命がけなのに、これではやる気が失せてしまう。職員怠慢過ぎる。不安定になったから、追加で安定剤を貰った。
2007年8月22日(水) シーツ交換
今日は雨だから、少し調子が悪い。頭痛と手足の痺れ。しかも、シーツ交換の日だ。ここでは、ベッドメイクを週1回自分でやらなくてはならない。病人なのに、変な感じだ。動悸・息切れがすごくなるし。朝から女性たちの間で、恋愛バトルが起こっていて面白い。だが、この病棟は「必要以上の男女の接触は禁止」だ。当然、恋愛も。こんな狭い空間の中で「あいのり」状態だ。夫がくれた手紙を読んで、心がジンワリした。入院して、こんなに好きだったのと、想ってもらえているのがわかった。ずっと一緒にいたいと思った。朝食を今日からパンからご飯に変えてもらった。ホルモンバランスが完全に崩れてしまって調子が悪い。今日は、仲良くなった患者さんが退院した。前に仲良かった患者さんが退院した時は、ちゃんと「寂しい。」って言えなかったから、今度はちゃんと言った。明日はもう一人退院。心が不安定過ぎて少し傍に居させてもらったら安定した。追加で安定剤と片頭痛の薬を貰った。しかも、夜勤は前に争った看護師がいる。トリプルパンチだ。超不安定。明日が心配。
2007年8月24日(金) 頼る人がいない
朝から頼っていた患者さんが退院することで頭がいっぱい。退院後、彼が潰れて、私の自殺してしまった友人みたいにいなくなったらどうしようって不安で押し潰されそうになった。「泣くな。」って言われたのに、笑えなかった。最悪。笑えば良かった。不安で追加剤を貰った。心が苦しい。苦しい。泣いてごめんなさい。折角出会えても、もう二度と会えない空間なんてキツ過ぎる。ここには、苦しい時、辛い時に抱きしめてくれる人がいない事が一番キツいのかも知れない。誰か・・・。
2007年8月25日(土) 集団散歩
今日は初めて、集団散歩があった。私は、単独散歩の許可が出ていない。「逃亡する恐れがあるからダメ。」だそうだ。行く時、担当看護師に「大丈夫?」と聞かれた。体力的なことかな?逃亡のことかな?(^^;)嬉しくて2周もしたら、体に熱がこもってバテたけど、昼食をモリモリ食べられた。それから月1度の映画鑑賞で映画を観て、女性患者さんたちの眉を整えてあげたり、将棋をしたり、とても忙しかった。目がショボショボになった。夜は人が少なくなって、喋ることもなくて、ホール全体が寂しい感じだった。患者さんの病院内での人間関係の悩みにのった。こんな狭い空間でギスギスするのって凄く嫌だな。でも少しは役に立てたかな?
2007年8月29日(水) 漢方療法の開始
1泊2日の外泊明けだったので、朝から身体の疲れをもろに感じる。朝・昼食と食事量を間違えられ、イライラする。疲れてて、眠い。母親が面会に来た。たくさん話した。院長先生との面談があった。将来の妊娠・出産のことを考えて、少しづつ漢方療法に変えてもらうことにした。漢方だと、効果が弱まってしまうのは否めないので、いつもより、不安定になった。
2007年8月30日(木) 破壊衝動・自殺衝動
身体が痛くてだるい。頭痛もして朝起きるのが辛かった。血圧が最高78。低すぎる。天候のせいだと思う。今月が終わってしまう。いつまで入院するんだろう・・・不安だ。心理検査があった。つまらない結果だった。自分でもわかっていることを言われた。今日は暇。だるい。OT(作業療法)のものづくりに参加することになった。担当の人が同世代の男性で、私は苦手だから、警戒心剥き出しになった。夕食前に、破壊衝動と自殺衝動がいきなり来た。破壊衝動が強すぎて、抑えるのに、涙が出た。原因は、嫌いな看護師を目にしたからだと思う。もうあの看護師来ないでくれたらいいのに。3時間くらい必死で我慢したけど、無理で、ベッドの柵を2回壁に投げつけたら、担当看護師が飛んできた。夜中、不安時の追加剤を貰った。
2007年8月31日(金) 私はお荷物だ
今月終わりだ。凹む。朝から本格的に偏頭痛。薬とホカロンをおでこに貼って大人しくしている。手足が痺れる。今日の看護師のリーダーに前にトラブルを起こした看護師のことを聞かれ、話をしたため、不安定になる。ムカツく。漢方治療だと、やっぱり効果が弱いらしい。胃が痛い。早く退院したい。ここは嫌いな人とも顔を合わせなきゃならないし、嫌な事も話さなきゃならないし、ほっといてくれないから辛い。夫に電話をしたら、以前からとても観たかった試写会が当たったと言われた。ゲストは私がとっても会ってみたかった作家さんだ。入院していると誰かに会いたいって気持ちが強くなることを知った。夫も母親も忙しくて試写会に付き合えないといわれてショック。今の私は、一人で動けないお荷物だ。仲良くしていた患者さんが突然、南の病棟に移動していった。寂しさを感じる間もなかった。後からくるのかな。不安。
2007年9月1日(土) 恋愛戦争勃発!
昨晩、突然病棟移動していった仲良かった患者さんと、他の女性患者さんが恋愛関係にあったことで、それが病院にバレて(精神科は恋愛禁止)彼の方が移動になったことを聞いたせいで眠れなかった。朝食を食べたら、お腹が痛くて胸も苦しいし、気持ち悪いし。正夢・・・つーか予知夢だ。ホント、男ってバカ。バカな女にひっかかるなんてバカ。大人なのにありえないよ。女性の患者さんが移動になるべきだって思う自分がいる。。。彼女は、それまでにもたくさんの患者さんに手出そうとしてて恋愛中毒みたいなところがあるから。彼女は、この入院中に4人のこどもの父親を見つけようとしている。4人とも父親が違う。しかも3か月前に生んだばかりで乳児院に預けている子もいる。余りの痛みに眩暈がしたから座薬を貰った。だいぶ治まったけど、まだ痛い。不安だよ。体重がほとんど増えない。看護師さんに動き過ぎだって言われた。ちょこまか。もう退院したい。彼が来てくれて、「退院したい。」って言ったら、「まだ無理だと思う。」って。映画もダメだって。いっぱい泣いた。彼はあまり目を合わせてくれなかった。相談も答えてくれなかった。私には、彼しか頼れる人がいないのに。悲しくてずっと泣きそう。ここに居たくない。その恋愛問題のせいでホール中が暗い。やだ。もうやだ。
2007年9月2日(日) 再び引きこもり
朝5時、偏頭痛で起こされた。ホカロンを貼る。胃も痛くなってくる。恋愛中毒の患者さんがいる、皆が暗い、イライラしたホールには行きたくない。朝食は、部屋に運んでもらったが、思うように食べられない。胃に激痛が走る。腸も。一人で我慢する。昼食前、患者さんたちとボードゲームをしてたら、恋愛中毒の患者さんが来た。びっくりするくらい、すぐにお腹が痛くなった。こんなに痛み、ストレスが続くなんて無理。彼が会いに来てくれるのをずっと待つ。ずっーと長い時間待っていて頭も体もフラフラする。彼も疲労しているみたい。彼が辛い時に傍にいてあげられなくて情けなくて涙が出る。患者さんと将棋をしてたら少し笑顔になれた。一人の患者さんがさっき、急に机をバンッって叩いて去っていってしまったことが気になる。私のせいかな?って思う。たぶん違うけど。めんどくさいなぁ。胃が痛い。助けて。
2007年9月3日(月) ストーカー
昨晩は、腹痛と、考え込んでしまって眠れなかった。朝、頭が鈍痛。部屋で朝食を食べる。もうホールに行きたくない。昨晩、仲の良い患者さんに「しばらく恋愛中毒の患者さんのことで避けるけど、気にしないで。」と伝えた。いつもなら、一言断ったりしないで動くけど、ここは皆デリケートな精神科だ。気を使う。言ったら、その患者さんも「本当は避けたいんだ。」って言ってた。私は、その恋愛中毒患者のことで他の人にも相談されている。女ってめんどくさい。こういうのキライ。限界になっているのを、看護師のリーダーに見抜かれて、問題のことを話させられた。言って良かったのかな。悪かったのかな。一人、話しやすい患者=私に付きまとってきて、永遠に話をつづけてくる患者がいる。同じ歳、同じ誕生日の男の子だ。彼に話しかけられてお腹が痛い。弱っている。彼のことは嫌いだ。院長先生と面談した。目標体重が、38kgに減った。今は、36・7kg。増えなくて焦る。早くここを出たい。でも、38kgと今の状態で出て、また体重が落ちないか不安も大きい。無理するな、と言われた。お腹痛い。私は、すごく頑張っている。限界。薬は増えた。ストーカーちっくな彼に、話しかけられたことがきっかけで、ここの嫌なことがたくさん浮かんできて、腹痛と吐き気がひどくて、夕食を全く食べられない。入浴後、再チャレンジするものの全く食べられない。すぐに体重が落ちてしまうんじゃないかとパニックと過呼吸になってしまう。ここにきて、過呼吸になったのは、初めてだ。彼に抱きしめてもらえば、治るのがわかってたから「家に帰らなきゃ。」とパニくった。吐こうとしたら、喉から吐血した。苦しくて、薬をもらってしばらくナースステーションにいた。その間も、ストーカーの彼の声が聞こえてきてパニくる。ホールに出たら、私は完全にまいっている状態なのに、ストーカーが話しかけてきた。頭おかしいんじゃないって思った。崩れ倒れそうになったところを、同室の患者さんが受け止めて彼から見えないようにしてくれた。初めて、患者さんに「助けて。」と言ってしまった。患者さんに頼ったりしたらいけないのに。申し訳ない気持ちでいっぱい。彼に電話をしている最中も、ストーカーが周りをうろついているから、看護師さんにガードをはってもらった。なんでこんな事までして苦しまなきゃいけないの?って思った。私は、同世代の男性には、嫌な記憶があって、フラッシュバックの危険もあるから、本当に勘弁してほしい。パニックがちゃんと治まらないまま、消灯になった。
2007年9月4日(火) 限界
泣き過ぎで、目と頭が痛い。熱も出た。体が寒くて暑い。熱があっても、ずっと寝てるのは恐ろしく退屈。ストレスで肋間神経痛が出る。退院したい。もしくは、開放病棟に移りたい。とりあえず、この空間では本来の目的の「食べる」ということが出来ない。鬱鬱してる。お腹が痛い。今日でお腹痛いのが5日目だ。もう限界。というか、こんなに長く痛いのは、たぶん日常生活でもない。ここを出たい。私がいるべきところじゃない。食事を食べられない。ストレスが大きいけど、少し夏バテしている気配もある。ここにきてのペースダウンは痛すぎる。体重、お願いだから減らないで。気持ち悪いよーーー。吐き気、どうにかならないかな。エンシュア(カロリードリンク。まずい。)出してもらおうかな。吐き気止めを処方してもらいながら、無理やり食べる。ストーカーがいるから、消灯後の9時以降にホールに行けないのが辛い。エンドレスに話しかけられるから。
2007年9月5日(水) ストレス熱
今朝、ホールに行こうと頑張ってみたけど、ストーカーの彼の姿が目に入ってやっぱり無理だった。お腹が少し痛い。熱もある。お昼は、頑張ってホールに出た。食べてる間も、身体が強張って集中出来なかった。なんで、病院なのに、身の危険を感じなきゃいけないんだろう。頑張るのは、果たして良いことなのか、良くないことなのか判断しかねる。担当の看護師さんに、「(私が)開放病棟に行くのはまだ早いと思う。」と言われた。夫が、17時半過ぎに面会に来てくれた。少ししか会える時間がないのに、汗だくになってきてくれて、ごめんねって思ったけど、会えてすごく嬉しかった。何だか、疲れてるみたい。でも、私がここにいるんじゃ何もしてあげられない。夕食は、彼に会えたパワーでホールで食べられた。少し、吐き気と腹痛があるけど。大好き。
2007年9月6日(木) 看護体制
朝3時半、偏頭痛で目が覚めた。イミグランを貰って、ホカロンを貼って、でもけっこう苦しんで、朝9時過ぎに落ち着いた。初めて、朝食を残してしまった。腸に加えて、胃も痛くなり始めて冷や汗が出た。今日は血液検査があった。月に一回あるそうだ。胃が腫れている感じがして、胃腸炎かもしれないと思ったが、CTをとることができない。彼に抱きしめてもらえば少しは良くなるような気がした。食事を見ていると、この病院は私を殺そうとしているんじゃないかって気がしてくる。ごはんの時、「ホールに行きたくない。」って看護師に伝えたら、「なんで?」と聞かれ、腹が立った。もう何日も、何度も伝えてあるのに、看護師間の連絡が取れてなさすぎる。そのせいで、患者が苦しい思いをしたり、悲しくなったりするのは絶対おかしい。ムカつく。看護師のリーダーが「僕たちのことを信用して。」って言ってたけど、これじゃ無理でしょう。
2007年9月7日(金) OT(作業療法)
昨日、院長先生との面談があった。「ストレスケア病棟への移動は、今後考えていくから。」と言われた。散歩の許可も貰えるか尋ねたが、「逃亡の恐れがあるからダメ。」だって。今朝は、頑張って、ホールまで出てみたものの凄く胃が痛くなってホールでしゃがみ込んでしまった。食事を見るだけで、吐き気がして胃が痛くなる。苦痛で仕方ない。本当に、38キロで退院出来るのかな。不安だよ。新しい患者さんが続々入ってきた。でも、皆、重症患者さんみたいで、仲良くなれる気配はない。今日は、OTがあったから昼間は何とか過ごせた。OTとは、編み物とか、ブレスレットを作ったり、陶芸とか自分の好きなことに取り組む療法だ。夜、腹痛がひどくて座薬を使った。心細かった。
2007年9月8日(土) 痛み
痛みで目が覚めた。ひどかったから、また座薬を入れて、ナースステーションで休んだ。なかなか薬が効かなくて、ヤバイと思ったけど、今は、シクシク痛む程度でだいぶ治まった。彼の名前を何度も呼んだ。心細い。夜、また痛みが襲ってきたからボルタレンを飲んだ。彼が会いに来てくれた。眠たそうだった。もう退院したいよ。彼と一緒にいたい。一緒に寝たい。離れてるのは嫌だよ。限界。恋愛中毒の患者さんがとても目に触る。やっぱりこの病院から消えてほしい。
2007年9月9日(日) 体重測定
今朝は異常なし。月に1度の体重測定の日。普通の患者さんは月に1度と決められているが、私のような体重関係で入院している患者は、基本的に好きな時に測ることが出来る。でも体重の増減によって鬱症状が悪化する患者さんが多いので、自ら進んで乗る人は少ない。今朝は、体重を増やそうとして水をガブ飲みして気持ち悪くなり、皆に呆れられる。37.8kgだった。でも、朝食後だし、あまり期待出来ない数値。いつも食べてればいいってこと?同室の患者さんがここ数日元気がなかったのが、今日は元気みたいで一安心。今日は日曜日だから暇。暇鬱にならないように気をつけなきゃ。なんだか、皆で千羽鶴を作り始めた。自分や患者さんたちが早く退院出来るように。普通の病院と違って、お見舞いに来ることも難しいし、精神疾患だけあって、お見舞いにくる人もなかなかいないことが多くて、千羽鶴はどの病室でも見当たらない。数日前に軽症状の患者さんが入ってきてからホールが少し明るくなった。患者さんにまた、恋愛中毒患者のことで相談された。
2007年9月10日(月) 退院の知らせ
今日の夜から外泊。ワクワクしてまた早起きしてしまった。患者さんの一人に朝から耳打ちされた。(相談)嵐の予感。早く退院してこんなドロドロと無関係になりたい。私と食事が同じテーブルの患者同士が「あの人嫌いなのよね。」と。こういう事を陰で言ったり、思ったりするのはやっぱり女ばかり。やーだー(>_<)皆大人なのに、ドロドロし過ぎ。院長先生との面談があった。ストーカーの男の子と、恋愛中毒の患者さんのことを話したけど、具体的な解決は見られなそう。上手くいけば、来週中に退院出来るって話になったけど、自信はない。
2007年9月11日(火) 2度目の外泊
今日から外泊。夜になるまで、すごーく長かった。周りのドロドロでお腹も痛かった。私を頼りにしてくれてる患者さんに「行かないで。いない間どうしてたらいいの?」とたくさん言われ、彼女の不安が少しでもなくなるように、出来る限りの時間一緒にいて話をした。夫が迎えにきてくれた。辛くても元気でいなきゃと思った。そうじゃなきゃ、捨てられちゃうって。辛くて怖かった。吐きそうだった。それでも一緒にいれて嬉しかった。ちょっと夜更かしもしたけど、ぐっすり眠れた。
2007年9月12日(水) 外泊中
どうしても行きたい試写会があって、外泊許可をもらった。場所は、渋谷TOEI。渋谷に行くのは、大丈夫だった。約1か月ぶりの電車・人混み・臭い。待ち時間にうるさいなって感じる女性がたくさんいて、凄くイライラした。「殴りたい。」って思った。夫に「早くきて。」と催促してしまった。でも無事に映画を観ることが出来て良かった。デートみたいだった。帰りは、大雨で、偏頭痛で、先に夫が倒れた。だから悲しくなった。帰ってから、夫の頭を洗ってあげて、薬をあげて、でも、「ゆぅちゃんは俺が倒れた時、元気でいなくちゃ。」と言われて悲しかった。でも、夜食を作ってくれたのに、睡眠薬が強すぎて、私は寝てしまった。ごめんね。次の日も何だかとても眠たくてお昼寝してから八王子に向かった。私はもう大丈夫だから帰りたくないし、夫と離れたくなかった。気持ちの波が強烈にきて、抑えるのが大変だった。八王子駅周辺で、お買いものをして、香水を買ってもらって、イタリアンを食べた。とても楽しくてますます帰りたくなくなった。車中で、ずっと夫にしがみついて泣いた。夫は「まだすぐ退院は早いと思う。」って。でも抱きしめてくれて嬉しかった。病院に戻ったら、患者さんが待っていてくれて戻ったことを喜んでくれた。消灯時間を過ぎても落ち着かなくて起きていた。
2007年9月13日(木) 不安定の連鎖
すごい肋間神経痛と共に目が覚めた。身体が痛い。彼とのデートは楽しかった。映画とかお買いものとか。幸せな気持ちを増やすのは、とても大切なことだと思った。作家の天童荒太さんのお話を聞けたのは、とても嬉しかった。渋谷とショッピングはやっぱり私の元気の素だ。退院後の私の収入がないのが不安。遊び=付き合い=お金だし。どうしよう。今日は、患者さんたちと将棋やオセロをして、談話した。何だか、腸が痛い。お腹がどんどん痛くなって眠れない。
2007年9月14日(金) OTバランス
朝起きて早々、腸がキリキリ痛み始めて、ホールに出て行く気が起らなかった。OTでバレーボールとサッカーと大縄をした。楽しかったけど、熱射病になりかけた。OTの間だけ、病棟から出ることが出来たので、途中で、別の病棟に行ってしまった男性患者(恋愛中毒者の被害者)に会えた。「病棟を移ってからも、恋愛中毒者の人が接近してきて、自分も被害を受けて立場が危なくなっている。」と相談を受けた。夜は、夜で、二人の患者さんに立て続けに相談された。二人とも、恋愛中毒患者のことでもう我慢がならないようで、何かしらホール内で動きがありそうだ。とりあえず、偏頭痛とその話を消灯過ぎまで、聞いていたので、あまり眠れなかった。
2007年9月15日(土) 退院の報告
完全に寝不足。フラフラになりつつ、朝食を食べた。院長先生との面談があった。退院が火曜日に決まった。母と夫に「迎えにきて。」と言ったら、「忙しいから。」「こちらの都合もあるから、急に困る。」ととても迷惑そうだった。私が帰ること自体、とても重荷で、いらないって言われているみたいに感じた。「頑張ったね。」ってすごく喜んでくれると思っていたのに馬鹿みたい。ありえないくらい悲しかった。「○○が戻ってきてくれて嬉しい。」「おめでとう。」って言ってもらいたかった。
2007年9月16日(日) 個室からの叫び声
今日は、母に会いたくないから、会ったら無神経な言い訳をするに決まっているから、面会はやめてもらった。夫が、守ってくれるって言った言葉を信じよう。昨夕方から、個室に入れられた患者が(保護室がいっぱいだったから個室に鍵をかけられて軟禁されていた)で「助けて!」って叫び続けていて、今朝も叫び声で目が覚めた。今更、精神科真っ盛りって感じだ。彼女は、昨日、看護師・ヘルパー総動員で拘束されていた。巻き込まれて、超不安定になった。夕食時も、目の前に、ストーカー男と恋愛中毒者女が座りだし、
話しかけ続けられて、ごはんを食べられなかった。まじ、消えてくれ。胃が痛い。早く外に出たいからなのかな?たぶん。母から電話があった。かけ直していない。だから、胃が痛いのかな。ずっとお腹が痛いのが治まらなくて、追加薬を貰った。ここに来て、うるさい患者が増加、皆の不安定に巻き込まれて逃げようがない。最近消灯過ぎまで起きて、皆の話を聞いているから眠い。精神科だから、鬱でお風呂に入らない人がいるから臭い(>_<)
2007年9月17日(月) 退院前日
明日、退院とはいえ、今日はきっと長いだろう。明日までここの食事を食べるのが憂鬱だ。退院のアンケートを書いた。ここの看護師の対応はどうでしたか?」とか「何か困ったことはありましたか?」とかB5用紙にたくさん書いてある。午後は、ゲームをしたり、患者さんと喋りっぱなしで疲れた。夫が会いに来てくれた。眠そうだった。大丈夫かな?明日から二人。不安も大きいけど、早く帰りたい。
2007年9月18日(火) 退院
今日の午後にしか、夫の仕事が終わらず迎えに来れないということで、ひたすら待った一日だった。あんまり暇なので、退院直前まで、OTに出たりした。たくさんの患者さんに、手紙を貰ったり、個別に呼び出されて、お話をしたりした。年配の、というかおばあちゃんたちはずっとこの空間にいなきゃならないのかなって思うと、彼らが物凄く寂しそうにしてくれて、私の履いていた靴とか洋服とかも欲しがってくれて、彼らとの別れは悲しいなと思った。欲しがってた私物はあげたかったけど、ここはものの貸し借りは禁止だから、あげられなかった。おばあちゃんたちは禁止だってわかってないみたいだったけど。最後に院長先生と夫婦で面接をした。荷物と薬のチェックをして、やっと閉鎖病棟の鍵が開く!って思ったけど、看護師さんたちは見送りをしてくれるわけでもなく、「そんなもんなのか。」と思った。でも一応ナースステーション全体に「お世話になりました。」と会釈した。患者さんたちは、大勢で見送ってくれて嬉しかった。荷物が多かったので、車まで一人看護師を貸してくれたのだけど、以前トラブルを起こしたチャラ男だったので、「なんでこの人なの?ナースステーション全体が私がこの人を嫌いって知ってるはずなのになんで?!(怒)」と思った。最後なのに、物凄くムカついた。
現実の世界に戻って、現実だと把握するまでしばらく時間がかかった。